とある看護師のひとりごと

その時思ったことなどの備忘録。

相手の立場に立って考えること

 

昨日は妹と色んな話をした。

 

子どもの頃、母親と死別し数年後再婚した際

お世辞でも良いとは言えない家庭環境にあった。

 

私の母親はうつ病で、自ら命を絶った。

 

母親の精神状態が安定していない事は4,5歳の自分でも良く分かっていたが

直接の死因はずっと知らずに中学生になった。

 

再婚した際の母親(以下、ママ母)は、私の父親とよく喧嘩をしていて本当にそれが苦痛だった。何度も寝たふりをして起こされたか分からない。

私たちは、自分の母親の位牌を自分たちの部屋に飾り、毎日お水をお供えしてたけどそれがママ母は気に食わなかった。

 

ある日、いつものごとく喧嘩しているときに

ママ母に

「あんたらは、母親に捨てられたんだよ。

自分で死んだんだよ。

幼い子どもがいて亡くなるなんて無責任なやつだ。そんな母親をいつまでも崇拝するなー!」

 

と言われた。

何となく薄々勘づいていた所もあったけど

やはりその事実を14歳(妹は12歳)に突きつけられたとき本当に苦しくて、私たちが知っている母親は私たちを愛してくれていなかったのか捨てられたのだと思い詰めてしまった。

 

少し歳を重ねて、反抗期になったときには

いろいろあり、母方の祖父母と暮らしました。

その時、沢山祖父母を傷つけてしまったかもしれない。

 

今になって考えると

本当にあの時母親の事実を知った事で

プラスに働いたことはなかった。

幼いながらの経験値では、そんなことを受容出来る訳なかった。

 

妹とも話していて、

やはり大人になった今ならその事実を知っても

けどお母さんは、病気だったから仕方ない

決して見捨てたわけではない

母親は愛情に溢れた人間だったと

思えていたはずだけれど

 

あの頃はただ、捨てられたと感じた

絶望感しか感じられなかった。

苦しい私たちの経験のひとつ。

 

 

 

そんな経験の中で、私たちは

いろいろなことに気づかされた

 

大人から言われる

あの人は悪い人だ、意地悪な人だ

などといった言葉は

一方的な見方でしかないのだと。

 

母方の親戚からしたら、私の父親は悪者に見えたりなにか非常識なところがあったかもしれない。またその逆も然りです。

 

しかし私がみてきた中で感じたのは

相手を思うがあまり、他者を傷つけてしまったり不器用なところはあったかもしれませんがどちらとも悪い人ではない。

 

その経験からどんな時でも

相手の立場に立って考えることの大切さを学びました。

 

この気づきがなければ

私も大切な人が傷つけられていたら

怒りの感情のまま、攻撃をしていたかもしれない。

 

そうじゃなくて、

相手の立場に冷静になって立って考えてみる。

そうすると自分の立場からでは気づかないことが見えてきたりもするかもしれない。

 

これは多分看護の世界でも大切だと。

看護師からみた患者に対する視点でも同じかなと。

 

看護師としては、患者さんにこうして欲しいという気持ちがあって分かり合えない時

その患者さんの立場になって考えると

また違う視点が見えるのではないか

 

どんな時でも、相手の立場に立って考えることが大切。

 

私は看護師としてこうありたいというよりも

自分がひとりの人間として何が大切なのかを常に考えて看護をしていきたい。

 

辛かった子どもの頃の経験は、

経験しなかった方が良かったと思うが

こんなふうに考えるきっかけにもなり

人生って本当に無駄な経験は一つもないし

自分の考え方次第でいくらでも豊かになれると実感する。